開目抄 池田先生の講義1

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0186~0237 開目抄 大白蓮華より 先生の講義 第一回 「開目」

01860237 開目抄 大白蓮華より 先生の講義 第一回 「開目」

 

大聖人に目を開け 民衆に目を開け

 宗教は人間の柱です。
 哲学は人生の骨格です。
 創価学会は「剣豪の修行」ともいうべき教学研鑽の力によって前進してきました。日蓮大聖人から直接、御指導を受けるべき思いで御書を開き、信行学を深め、勇気を奮い起して広宣流布の一切の闘争に勝利してきました。「御書根本」の前進に、行き詰まりは断じてありません。
 私の耳朶には、今も絶えず、戸田先生から受けた御書講義が響き渡っています。
 戸田先生の講義には、生命論あり、幸福論あり、国家論あり、文化論あり、平和論、人物論、組織論、師弟論ありで、闊達な展開を通して、大聖人の仏法を現代に、また、生活に、社会にと蘇らせる力がありました。
 そして、何よりも、御書を通して地涌の菩薩の皆さん、一国を救う闘争に立ち上がろうと呼びかけ、一人ひとりの生命の奥底から「使命感」と「勇気」を呼び覚ます慈愛の指導をされた。
 このように万人が「地涌の菩薩」であるとの御書の拝し方は、大聖人滅後700年間、絶えてなかった拝し方であったと確信します。戸田先生ご自身が、獄中の悟達に基づく深き地涌の使命の自覚から御書を講義されていたからです。
 私自身にとっても、戸田先生の講義が、人生を決定する機縁となったことは言うまでもありません。
 運命的な戸田先生との出会いも「立正安国論」の講義の時のことでした。そして、入信後、聴講した法華経講義、また折々の早朝講義でうかがった、深遠なる日蓮仏法の哲理。戸田先生は、まさに講義の達人でした。感銘のあまり、「講義に、無技術の講義、技術の講義、芸術の講義あり」と思った記憶があります。
 私も、戸田先生の弟子として、常に御書講義の最前線に立ち、多くの友に大聖人の仏法を訴えきってきました。
 大聖人の師子吼は、万人の生命に潜む魔性を打ち破る最大の力です。
 相次ぐ大難を乗り越えられた大聖人の大生命力の響きは、苦難と戦う人々に勇気と希望を、そして確信と歓喜を贈ってくださる。
 そしてまた、甚深の思索のお言葉は、私たちに広宣流布と人生の正しい軌道を示されております。
 ゆえに「御書根本」こそ、生活と人生においても、広宣流布の戦いにおいても、「勝利への正しい軌道」なのです。
 私どもの願いは、21世紀を「民衆の勝利「青年の勝利」そして「人間の勝利」の世紀にしたい。この一点にあります。世界はいよいよ人間主義の宗教を待望しています。その新時代を開く要として、また、大切な会員の糧として、大聖人の大師子吼であられる「開目抄」の講義を開始することにしました。
 「生命の世紀」「人間の世紀」を樹立するためにも、日蓮仏法の精髄と、その正統教団である創価学会の正義を語っておきたい。そして、創価学会の魂の根幹を残していきたい。
 哲学は勝利のための戦いの源泉であります。
 崇高にして深遠なる実践哲学である日蓮仏法を真剣に学び、生命に刻む皆様は、永遠の哲学博士となることは間違いありません。一人ひとりが、深まる現代社会の闇を、希望の経典、永遠の宝典の光明を照らし、人間世紀を創造する哲学の勇者に育ちゆくことを念願し講義を始めます。

「開目」

 まさに「開目抄」の全編の主題は「開目」というこの題号に尽きているともいえます。
 本抄の御真筆は現存していませんが、本文を認められた65枚の和紙と、大聖人御自から表紙として「開目」と書かれた和紙1枚の計66枚から成っていたとの記録があります。
 「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。また「目を開け」という大聖人の呼びかけと拝することもできる。
 閉ざされた心の目を、どう開いていくか、無明の闇を、いかなる光明で照らしていくのか。その解決の道を開かれたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人であられます。
 「一切衆生の救済」と、「立正安国の実現」を目指し、あらゆる魔性と戦う法華経の行者としての闘争の炎は、北国の佐渡に流されても、いやまして燃え盛っておられたと拝されます。
 その大聖人の御心境が示されているのが、「開目抄」のあまりにも有名な次の一節です。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232:01)
 「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232:03)
 社会的に見れば、大聖人は流人です。権力の弾圧による冤罪はあっても、死罪に次ぐ重罪の流刑を受け、いわば、天然の牢獄に入れられたに等しい。しかし、大聖人の心を縛りつけるいかなる鎖も存在するはずがなかった。
 古今東西の歴史で、迫害の受難に耐え抜いた賢人・聖人は少なからず存在します。しかし、迫害の地で、人類を救う宣言をなされたのは大聖人だけでしょう。

「我日本の柱とならむ」

 いかなる迫害も、あらゆる魔性も、民衆救済の請願に立ち上がられた大聖人を阻むことはできなかった。
 そして「内なる生命の法」に目覚めた人間は、どれほど尊極な魂の巨人になれることか。
 日蓮仏教は「人間宗」です。大乗仏教の精髄である法華経が開かれた「人間の宗教」の大道を確立され、全人類の幸福と平和実現の方途を未来に残してくださったのが日蓮大聖人です。
 まさに、この大聖人こそ、人類の「柱」であり「眼目」であり「大船」であられる。
 その「柱」を倒そうとしたのが、当時の日本の顛倒した宗教であり、諂曲にして畜生道の僧たちでありました。

佐渡の過酷な環境の中で御執筆

 この「開目抄」を書かれた由来については、大聖人御自身が「種種御振舞御書」に詳しく記されています。
 「さて皆帰りしかば去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ」(0919:09)
 この一節は、文永9(1272)2月の「開目抄」御執筆の時点で大聖人の思いを後に回顧されている内容ですが、まず「去年の11月」つまり佐渡御到着後の文永8年(127111月から「開目抄」を構想されたと仰せです。
 大聖人が極寒の地・佐渡の塚原へ到着されたのが111日。
 佐渡の塚原三昧堂とは、墓所の「死人を捨つる所」にある堂のことです。
 一間四面の狭い堂で、祭るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題にまかせている廃屋当然の建物であった。
 冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もる環境のなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごされた。慣れない北国の寒さに加え、食料も乏しく、11月のうちには、お供してきた数人の弟子を帰している。
 「筆端に載せ難く候」筆舌に尽くせないほどの劣悪の環境のなかで、現身に餓鬼道を感じ八寒地獄に堕ちたと思わせるような状況であると、大聖人は記されています「此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし」(0917:13)といわれていた。
 そうした劣悪の環境のなかで、日蓮大聖人は思索を深められ、人類を救う大著を書き綴られた。400字詰原稿用紙で言えば、100余枚に相当する著述を、約3ヵ月で構想され執筆されたことになります。
 大聖人は佐渡に到着されて直ちに、民衆救済の書の御執筆を開始されたのです。
 佐渡における大聖人の御境地について、戸田先生はこう語っておりました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される。
 されば『此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』(0910:16)とも『日蓮流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし』(0237:11)ともおおせられているのは、御本仏の境涯なればと、つくづく思うのである。
 事実、日蓮大聖人は言語に絶する逆境のなかで、どうすれば全人類を仏にすることができるのかを思索され「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、その方途を明確に築かれたのです。古来、大難を耐え忍んだ者はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで御自身のことよりも民衆救済、人類救済のため楔を打たれたということです。

発迹顕本と「開目抄」

 さて、大聖人の御文で「開目抄」御執筆の動機について『去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり』(0919:02)と仰せられています。留められるべき「日蓮の不思議」とは、その最大のものが、竜の口の法難の時の「発迹顕本」であると拝察できます。
 この時、大聖人は「名字即の凡夫」という迹を開いて、内証に永遠の妙法と一体になった自在の御境地である久遠元初の「自受用報身如来」の本地を顕されました。
 大聖人が発迹顕本されたことによって、凡夫の姿のままで仏界の生命を現す「即身成仏の道」が開かれたのです。
 「開目抄」につぶさに示されているように、大聖人は相次ぐ大難を乗り越えられ、障魔を打ち破る激闘のなかで、発迹顕本という「生命根本の勝利」を勝ち取られたのです。
 私たちも、いかなる障魔も恐れず、勇気ある信心を貫けば、何があっても無明を破り、法性を顕す自分自身を確立することができる。それが私たちの発迹顕本です。そして、この「我発迹顕本」が一生成仏を決する根本になるのです。
 「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(0564:13)と仰せのとおり、日蓮大聖人の発迹顕本は、末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の「根本原理」を示されている。また、その「証明」であり、「手本」なのです。
 妙法への揺るがぬ信があれば、万人が、自己の凡夫の肉身に、大宇宙の境涯を広げることができる。
 いわば、末法の全民衆の発迹顕本の最初の一人となられたのが日蓮大聖人であられる。そして、日蓮大聖人は、御自身の発迹顕本を証明されるために、また一切衆生が発迹顕本するための明鏡として、御本尊を御図顕なされた。
 まさに、大聖人は、全人類の柱です。一切衆生が仏性を開いていけるのは、日蓮大聖人の発迹顕本のおかげだからです。この点にこそ「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」(0919:03)日蓮は日本の人の魂なり」(0919:04)との仰せの最も深い意義があると拝せられます。
 「開目」とは、このように「大聖人に目を開け」と呼びかけられているのです。

不惜身命の精神に目を開け

 「日蓮大聖人の開目」とは、すなわち「法華経の行者への開目」であり、したがって「法華経への開目」でもある。
 そのように、「開目」には重層的な意義があり、「開目抄」では、それを拝せる種々の御文が記されております。
 ここで「大聖人に目を開け」との呼びかけに当たる仰せをいくつか挙げてみたい。
 まず、先ほど述べた「大聖人の発迹顕本に目を開け」に当たる御文は有名です。
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず」(0223:16)
 まさに「大聖人の魂魄に目を開け」と仰せの御文である。
 ここで大聖人は「竜の口の頸の座において凡夫・日蓮は頸をはねられた。今、佐渡で『開目抄』を書いているのは日蓮が魂魄そのものである」と言われている。この「魂魄」とは、発迹顕本された御内証である「久遠元初自受用身」にほかならない。
 ここで、「開目抄」の全編の構成から見た時に、この一節が、大聖人御自身が法華経身読、なかんずく勧持品第十三の身読を説く個所の冒頭に示されていることに着目したい。
 すなわち、この御文では、法華経勧持品で三類の強敵の迫害がいかに恐ろしいものとして説かれていても、魂魄である日蓮には何も恐ろしくはないと言われているのであり、何ものも恐れない久遠元初自受用身の偉大な御境涯の一端を示されているのです。
 三類の強敵は法華経の行者に対して権力を使って弾圧するなど、その恐ろしい迫害の相が勧持品には詳細に説かれている。
 その命にも及ぶ大難を受けた時に「不惜身命」の魂で戦うとの請願を八十万億那由陀の菩薩たちは立てるのであります。
 勧持品には「我は身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」とあります。
 万人を仏にする無上道を惜しんで何も恐れない「不惜身命」の精神を、菩薩の根本の要件として説いているのです。
 名聞名利の悪僧と、愚癡の悪臣が結託して、非道の権力によって法華経の行者へ襲いかかった時、不惜身命の「師子王の心」を持てる者が仏になる。大聖人は「開目抄」とほぼ同じ時期に書かれた「佐渡御書」でこのように明かされています。
 したがって、「開目」には「大聖人の不惜身命の精神に目を開け」との意義が含まれていると拝したい。

障魔と戦いきる人が末法の師

 次に、大聖人が遭われた大難の相と勧持品に説かれる三類の強敵の迫害の相とが一致することをつぶさに検討された末に結論された御文を拝したい。ここにも、「大聖人に目を開け」との意を拝察することができます。
 「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし」(0230:05)
 「求めて師とすべし」 三類の強敵と戦いぬく法華経の行者こそ、末法の人々を救う真正の「師」であるとの結論です。障魔と戦える人のみが「末法の師」なのです。
 「魔競はずは正法と知るべからず」(1087:16)とも仰せのように、末法で正法を正しく持ち、実践する人には、必ず障魔が競い起こる。
 万人に具わる仏性を、一人ひとりの生命に、そして社会に現す方途を確立することが、末法の人々を救う唯一の道である。その大道は、万人に具わる元品の無明を打ち破る、深く強き「信」を確立できる人のみが、開くことができる。なぜならば、あらゆる障魔の正体は、まさに元品の無明にあるからです。元品の無明との戦いを示さない教えでは、決して「末法の正法」でもなければ「末法の師」とも言えない。
 元品の無明は、本来は修行の最終段階に進んだ菩薩があう、妙法に対する根本的な迷いであり、等覚の菩薩ですらも、この迷いに道を失うことがあるという。
 末法は「白法隠没」と言われるように、正法が隠没し、邪智が深まる時代です。この末法に正法を行ずるには、元品の無明との対決が不可欠なのです。
 そのために大聖人は「開目抄」の中で二つの点を強調された。
 その第一は、「五重の相対」によって、何が末法の正法かを明確にされたことである。
 それは「文底の一念三千」であり、法華経本門寿量品で説かれる久遠の「本因本果」である。簡単に言えば、純粋で強い信によって元品の無明を破ることにより、今の九界で自分と永遠の仏界の生命との互具を実現する「真の十界互具」である。これこそが、九界の自分に仏界を涌現させて即身成仏・一生成仏を実現させてく法であり、これのみが「末法の正法」なのです。
 第二には「請願」を強調されています。
 法華経本門寿量品の文底に秘沈されている末法の正法は、難信難解である。しかし、万人の成仏という仏の大願をわが願いとして、広宣流布の戦いを不退転で戦い抜くことを誓うことにより、「信」を鍛え、強化していけるのです。そして、発迹顕本を遂げられ、末法救済の大法を確立された大聖人こそ「末法の師」であり、「末法の御本仏」なのです。
 大聖人の請願を示されている御文については、すでに冒頭にも引用したが、もう一度、掲げておきたい。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232:01)
 以上の二点は、「開目抄」の骨格を成す法理であり、後に本文の講義のなかでさらに詳しく考察していくことにします。

忍難・慈悲に目を開け

 関連して、御文をもう一つ拝したい。
 「されば日蓮法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202:08)
 多くの同志の心に刻まれているこの御文もまた、「大聖人に目を開け」と呼びかけられている御文であると拝することができます。
 ここで大聖人は法華経の智解については天台伝教よりも劣ると御謙遜されているが、先に述べたように、末法の一切衆生の成仏を実現する要法を把握されるという最高の智慧を本抄では示されている。
 しかし、この要法は衆生一人ひとりの一念において十界互具・仏界涌現を実現するための究極の法であり、説明することはもとより難しいが、衆生一人ひとりに弘め、実現していくことは、さらに困難なのです。
 それは前代未聞の戦いであり、時代は悪世、法は難信の要法、そして弘める人の姿は凡夫であるがゆえに、大難は必定なのです。そこで、大聖人は、相次ぐ大難に耐えながら、仏界の生命を凡夫の我が身に開き顕していかれた。その大聖人の生き方・実践を手本として提示し、万人に弘めゆく方途を確立されたのです。
 その戦いを貫き、完遂された原動力は「誓願」です。そして、そのさらなる根底には一切衆生大慈悲があらわれた。
 この大慈悲こそ、私たちが大聖人を「末法の御本仏」と拝するゆえんなのです。
 大聖人自身も、末法の一人ひとりの人間を根底から救う折伏の戦いの本質は慈悲であるとして「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237:05)と仰せられています。これは「開目抄」の結論であり、「大聖人の慈悲に目を開け」との呼びかけであると拝することができます。
 戸田先生は、「開目抄」の御文を引きながら、万人の、全人類の境涯革命こそが「如来事」であるとして、その実践を同志に向かって呼びかけられています。
 「全人類を仏にする。全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります。
 大聖人が開目抄に『日蓮法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・ををも・いだきぬべし』(0202:08)と仰せられた深意は、一切衆生をして仏の境涯を得させようと、一生をかけられた大聖人のご心中であります。
 これこそ目の前に見た『如来の事』であります。学会のみなさま、われわれも『如来の事』を行わなくてはなりませぬ。しからば、いかにして全人類に仏の境涯を把持いたさせましょうか」
 大聖人は万人の成仏、全人類の境涯革命を目指し、法体の確立・流布のために忍難・慈悲の力を現されました。学会は、これら大聖人の精神を受けて、牧口初代会長の時代より、大聖人の仏法を現実変革の法として受け止め、民衆救済の戦いに邁進していきたいのです。

根底は民衆への慈悲と信頼

 題名の「開目」の意義は、以上のように重層的に拝することができますが、「大聖人に目を開け」ということが基調になっているといえます。そして、その根底には、さらに民衆の慈悲と信頼がある。それは「民衆に目を開け」と、表現できるものです。
 大聖人の仏法は「師弟不二の仏法」です。大聖人はご自身が身をもって確立した末代凡夫の即身成仏の道を弟子たちにも勧められています。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(0234:07)
 ここでは、無疑曰信・不惜身命の「信」を同じくするころをもって、大聖人と弟子たちとの師弟不二の道とされています。この「信」には「疑い」を退けていることから明らかなように、生命にひそむ魔性や外からの悪縁となる障魔との闘争が含まれていることはいうまでもありません。
 そして、大聖人の戦いに連なっていけば「成仏」の果も間違いないと保証されております。いかなる人も、因行・果徳とともに大聖人と不二になれるからです。
 このことは、本抄に一貫して拝することができる「大聖人に目を開け」という呼びかけが、実は人間・民衆への深い信頼の上に成り立っていることを意味しているのです。
 そこで私は、本抄の「開目」の意義として「大聖人に目を開け」の呼びかけとともに、「人間に目を開け」「民衆に目を開け」との熱い呼び掛けであることを明言しておきたいと思います。

万人の仏性を開く「開目の連帯」

 結論して言えば、「開目抄」を拝することは、日蓮大聖人を末法の成仏の「手本」とし、成仏の道を確立した「末法の教主」として正しく拝することにほかならない。また、文底の民衆仏法の眼から拝せば、「開目抄」を拝することは、「人間への信頼」に立つことであると言えます。
 そう拝した時、「開目抄」を真に正しく拝読した者がいずこにいるか。あらためて、戸田先生の慧眼が光り放つといえるでしょう。講義の第一回を結ぶにあたって、恩師・戸田先生の次の一節を紹介しておきたい。
 「私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈たる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊極なる意気にふれんことをねがうものである。
 私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきささってくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じがあり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる思いがするのである」。
 この戸田先生の拝読の御精神こそが、創価学会の御書拝読の永遠の指針であると確信する。御書を拝することは、民衆救済の大慈悲の哲理に触れることであり、日蓮大聖人の広宣流布の御精神に浴することに通じます。
 私たちも、地涌の勇者として、全人類の無明の目を開き、万人の仏性を開く「開目の連帯」を築いていきたい。今、世界中で、日蓮大聖人の人間主義の仏法を待望しています。私たちの平和と文化と教育の大運動をみつめています。